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みのすはです。

暑い!
8月入って気温が???なんかあったの???
そんな感覚に陥っています・・・
どうしても言ってみたかった場所。前回のBreak Timeシリーズで北条早雲の記事を投稿したのですが、小田原城総構は改めて記事にしたいと思っていました。
秀吉を絶望させた「街まるごと要塞」。
小田原城総構(そうがまえ)を歩く【前編】
核心の遺構を巡り、最後の聖域・稲荷森へ
そんなサブタイトルです!!!
日本の名城といえば、 漆黒の天守が美しい松本城、白いサギが羽を広げたような姫路城……そんなイメージが強いですが、今回ご紹介したいのは、神奈川県小田原市にある、戦国時代最強の防衛システム。
その名も、小田原城「総構(そうがまえ)」です。
「小田原城なら、駅の近くの綺麗な天守閣に行ったことがあるよ」という方も多いかもしれませんが、それは小田原城のほんの「中心部」に過ぎないです。小田原城の本当の凄みは、天守閣から遠く離れた、現在の住宅街や山林に眠っているのです。
今回は、天下統一を目前にした豊臣秀吉の22万の大軍を迎え撃つため、北条氏が小田原の「街ごと」ぐるりと囲んで築いた全長約9キロメートルにおよぶ大要塞を巡ります。小田原市発行の『はじめての総構』パンフレットを片手に、みのすはが実際に大感動した3つの核心スポットをご紹介。そして、旅の終わりに「あえて最後に残した」秘密の聖域への期待についても、お伝えしたいと思います。
パンフレットの画像です。


そもそも「総構(そうがまえ)」ってなに?
まずは、この記事を読み進める前に、少しだけ歴史の針を440年ほど巻き戻してみましょう。時は天正18年(1590年)。天下統一を推し進める豊臣秀吉と、関東の覇者である北条氏政・氏直との間で、のちに「小田原合戦(小田原攻め)」と呼ばれる世紀の大決戦が勃発しようとしていました。
秀吉が動員した軍勢は、なんと驚異の22万人。 対する北条方は、一族や領内から集めた領民も含めて約5万〜6万人。圧倒的な兵力差です。普通に戦えば・・・ですよね。
そこで北条氏が、持てる土木技術のすべてを注ぎ込んで完成させたのが「総構」でした。
【総構とは?】 城の天守や本丸だけでなく、武家屋敷や町人の住む城下町、さらには田畑までをも、巨大な堀と土塁(土の壁)でぐるりと一周囲んでしまった巨大な防衛線のこと。
その全長は、なんと約9キロメートル! 当時のヨーロッパの要塞都市にも匹敵する、日本史上最大級の城郭都市がここに誕生したのです。秀吉の22万の大軍は、この強固な「壁」に行く手を阻まれ、力攻めを諦めて数ヶ月に及ぶ兵糧攻め(籠城戦)を選ぶしかありませんでした。
この歴史の舞台裏を、現代の私たちが実際に歩いて体感できるのが、小田原城総構巡りの最大の魅力だと思っています。
現代の街に息づく、北条流土木の結晶!厳選の3大スポット
今回、パンフレットがおすすめする総構の最重要スポットへと繰り出しました。歩いて巡った、美しい3つの遺構です。
圧倒的なスケール感に言葉を失う「小峯御鐘ノ台大堀切東堀」

最初に訪れたのは、総構のなかでも絶対に外せないハイライトとされる小峯御鐘ノ台大堀切東堀(こみねおかねのだいおおほりきりひがしぼり)です。 ここはもう、「素晴らしい」の一言。目の前に立った瞬間、圧巻でした。みのすはが一番行きたい!!!と思った場所です。
【📷:圧倒的な深さと急斜面を持つ、緑に覆われた大堀切東堀】

目の前に広がるのは、もはや人工物とは思えないほどの、深くて巨大な谷。 堀の底に実際に降りて、見上げる斜面はまるで壁のようです。深さは最大で10〜15メートル、幅は20〜30メートル近く、傾斜は50〜60度という急勾配!上を見上げると、生い茂る木々の隙間から空が遠くに見えます。

重機もショベルカーもない時代、すべての人間の手と、鍬(くわ)と、もっこだけでこれだけの土を掘り返したとはビックリ!北条氏の守りの執念が、この土の斜面一枚一枚からビシバシと伝わってきました。当時の豊臣方の武将たちも、この堀の前に立たされた時、「これは物理的に突撃するのは無理だ」と絶望したのでないかと思いました。

新たな防衛線の緊迫感が伝わる「三の丸外郭新堀土塁」
次に足を運んだのが、「三の丸外郭新堀土塁(さんのまるがいかくしんぼりどるい)」です。
ここは、小田原合戦の直前に「豊臣軍の襲来に備えて、急ピッチで増強・新設された」と言われる防衛線の一部。先ほどの広大な大堀切とはまた違い、住宅街のすぐそばに突如として現れる長大な土の壁(土塁)に目を奪われます。
【📷:住宅街のすぐ横に綺麗に残る、三の丸外郭新堀の土塁】

「秀吉の軍勢が刻一刻と迫る中、当時の人たちはどんな思いでこの土を積み上げたのだろう」 そう考えると、胸がギュッと締め付けられるような、リアルな戦国時代の緊迫感が押し寄せてきます。何百年もの間、崩されずにこのカタチを保ち続けてきた奇跡に、感動するばかりです。秀吉が北条氏を心理的に追い詰めるために築いた「石垣山一夜城」がある山の方角も見渡せます。
北条氏の歩みの原点を感じる「八幡山古郭東曲輪」
3つ目に訪れたのは、「八幡山古郭東曲輪(はちまんやまこかくひがしくるわ)」です。 ここは現在の小田原城天守閣がある場所よりも、さらに高い丘の上に位置する、いわば「北条氏の初期の小田原城」があったとされる神聖な場所。
【📷 :八幡山古郭から小田原の街や海を見渡す絶景】

ここからの景色はまさに絶景!小田原の街並みや相模湾が一望できるだけでなく、小田原城の展望台もはっきりと見えます。
実はこの時、小田原城の展望デッキにいた人が、こちらを見て手を振ってくれました。
ここに立つと、総構の構造が実によく分かります。眼下に広がる街すべてを守るために、あの巨大な堀が張り巡らされている。過酷な防衛力とは裏腹に、北条氏が5代にわたって関東を治め、領民を大切にしてきたという「民への愛」が、この城のカタチそのものから伝わってくるようです。
NPO法人小田原ガイド協会
難攻不落の要塞!小田原城総構
駅からガイド
最後の聖域「稲荷森(いなりもり)」へ
小峯御鐘ノ台大堀切、三の丸外郭新堀土塁、そして八幡山古郭東曲輪……。 と、総構の主要な絶景スポットを巡りました。
普通なら、ここで「大満足!小田原のかまぼこと干物とビールで乾杯!」と行きたいところですが、総構の旅は、まだ終わっていません。「最後の聖域」を残しているからです。
それが、「稲荷森(いなりのもり)」です。
総構の北西部に位置するこの場所は、数ある遺構の中でも、非常に良好な形で当時の土塁が残されていると言われるスポットで、この稲荷森のすぐ近くやさらに奥のエリアには、敵を横から狙い撃つ「城下張出」や、さらなる巨大空堀「山ノ神堀切」といった、まだ見ぬディープな遺構たちも眠っています。住宅街にあるので、本当に驚きです。
王道の大堀切や、計算され尽くした新堀・古郭を見て、北条氏の土木技術の全貌を頭に叩き込んだ今だからこそ!!!この「稲荷森」の静寂な土塁の前に立った時、みのすはの頭の中で、散らばっていた小田原城総構という巨大なパズルの最後のピースが、ハマりそうです。
誰もいない森の中で、五感を研ぎ澄まし、ただ土塁と対話する。 それこそが、戦国最強の要塞にふさわしい、最高のフィナーレになりそうです。
「戦国最大の壁」を体感してみませんか?
小田原城といえば、復興された美しい天守閣が有名ですが、本当の恐ろしさ、そして北条氏の本当の凄みは、この街の縁をぐるりと取り囲む「総構」にこそ眠っています。
住宅街を歩いていたはずが、一歩路地を入ると、400年前の戦国時代へタイムスリップ???させられる。そんな不思議な体験ができる場所は、日本中を探してもそうないと思います。
さあ、歴史の教科書をひっくり返すような大要塞を体感しに、小田原へ出かけてみませんか?
みのすはは、最後に残された秘境「稲荷森」へ歩きます。 一体そこには、どんな景色が待っているのか。北条氏のどんな息吹を感じられるのか?
(次回、【後編:いざ、幻の土塁が眠る『稲荷森』へ!】に続きます!)
と、いうわけで・・・
自然と歴史を大切にされているのが、手に取るようにわかりました。パンフレットにある4か所のうち、最後の1か所を残しています。
また、Break Timeシリーズで、お伝えしたいと思います。
こちらの記事は時々、更新します。ぜひチェックしてみてくださいね!一旦、公開いたします。
みなさんのなにかの参考になると嬉しいです。

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